北の国から』(きたくにから)は、フジテレビ系で放送された日本テレビドラマシリーズ。原作・脚本は倉本聰。主演は田中邦衛。 連続ドラマとして「金曜劇場」枠で1981年10月9日から1982年3月26日まで毎週金曜日22:00 - 22:54に放送された後、ドラマスペシャルとしてシリーズ化され、
157キロバイト (24,214 語) - 2021年10月9日 (土) 23:01



1 征夷大将軍 ★ :2021/10/10(日) 19:17:34.50

現代ビジネス 10/9
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87945

ちょうど40年前。1981年10月9日(金)の夜10時から、ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)の第1話が放送された。多くの視聴者にとって、それは見たこともないドラマだった。

当時、金曜夜10時という同じ時間帯に、ドラマが3本並んでいた。1本目は、この年の5月から始まっていた、藤田まこと主演『新・必殺仕事人』(81年5月~82年6月、テレビ朝日系)。もう1本が9月にスタートした山田太一脚本のドラマ『想い出づくり。』(81年9~12月、TBS系)だ。

シリーズとして固定ファンを持つ『必殺』もさることながら、『想い出づくり。』も女優3人の生き生きとした掛け合いが軽妙で話題となっていた。演じたのは森昌子、古手川祐子、田中裕子の3人。当時は結婚適齢期といわれていた24歳の女性たちが、平凡な日常生活から脱却しようと都会をさまよう物語だ。ちなみに脚本は山田太一、演出は鴨下信一、プロデューサーは大山勝美。後に大ヒット作となる『ふぞろいの林檎たち』の布陣と同じだった。

■異例ずくめのドラマ
人気の2番組に遅れて参入してきた『北の国から』の主演俳優は、田中邦衛である。60年代から70年代にかけての田中は、加山雄三の映画『若大将』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズでの脇役という印象が強かった。ドラマの主役といえば、スターだったり二枚目だったりすることが当たり前の時代に、異例の「主演・田中邦衛」。視聴者も戸惑ったはずだ。

そして肝心の物語も普通ではなかった。東京で暮らしていた黒板五郎(田中)が、2人の子どもと一緒に、生まれ故郷である北海道の富良野に帰ってくるところからドラマは始まる。仕事を求めて東京に出ていた五郎は、令子(いしだあゆみ)と結婚して、純(吉岡秀隆)と螢(中嶋朋子)をもうけた。しかし、妻の不倫をきっかけに五郎は、子どもたちを連れて富良野へ帰ることを決意したのだ。

当然、ドラマの主な舞台は北海道となる。それまでも単発ドラマなどで「地方」が描かれることはあったが連続ドラマを「現地」で撮り続けることなどあり得なかった時代だ。主演俳優同様、これも異例のことだった。

冬は気温がマイナス20度にもなる富良野でのロケ。俳優陣、演出家たち、そして技術や美術のスタッフの奮闘もドラマ史に残るものだ。

倉本が私に語ったところによると、当初、フジテレビからの提案は「映画の『キタキツネ物語』(78年)のようなものを書いてほしい」だったという。ヒット映画のテレビ版を狙ったのだろう。しかし、蔵原惟繕(くらはら これよし)監督が知床の斜里町や網走でキタキツネを探して4年も粘ったような制作体制は組めないはずだと、倉本は断った。

すると今度は、北海道で日本版『アドベンチャーファミリー』(75年、米映画)のような作品はどうでしょう、と食い下がる。ロサンゼルスで暮らしていた一家が、何もないロッキーの山中に移住する物語。家族が力を合わせて大自然と向き合う姿が評判を呼んだ。しかし、北海道にロッキーに匹敵するような場所はない。倉本はこの案も退けた。

だが、フジテレビ側は「テレビを見るのは主に東京の人だからかまわない」と言う。これに倉本が怒った。北海道を舞台にドラマを作って東京の人に見せるからといって、北海道の人間が「嘘だ!」と思うようなものは作るべきではないからだ。

■「廃屋」が生んだドラマ
思えば『前略おふくろ様』(75~76年、日本テレビ系)もプロの板前が見て納得できるドラマだった。結局、倉本自身が新たに企画書を書くことになる。

実は『北の国から』を書き始める2~3年前から、倉本はよく富良野の原野を歩き回っていた。そこで頻繁に目にしたのが、物語の核となっていく「廃屋」だ。中に入ると、壁に〈寂しいときにはあの山を見た〉などの落書きがあった。赤いランドセルも置いてあり、広げた雑誌『少女フレンド』の表紙には少女時代の小林幸子の写真……。まさに「夜逃げ」の光景だった。

倉本によれば、北海道には3種類の廃屋があるという。海岸に残された番屋(漁民の作業場兼宿泊所)の廃屋。山に残された炭住(炭鉱労働者用住宅)の廃屋。そして原野に残された農家の廃屋だ。水産業、鉱業、農業……。かつて日本の繁栄を支えた第一次産業に従事した人々の家だ。高度経済成長を経て構造転換の大波の中で衰退し、やがて国に見捨てられていった。廃屋はその残骸だ。

捨てられた人たち、忘れられた人たちの無念が、倉本にペンを執らせたのかもしれない。ドラマの中で、最初に五郎たちが住もうとした家も廃屋のようなものだった。もちろん水道も電気もガスもない。

第1回で、この家に衝撃を受けた純が五郎に「電気がなかったら暮らせませんよッ」と泣きそうになって訴える(以下リンク先で)。
★1:10/09 20:19
 





48 名無しさん@恐縮です :2021/10/10(日) 20:24:15.30

>>1
なお、日本テレビはこの時間「TV・EYE」という報道番組を放送していた。


6 名無しさん@恐縮です :2021/10/10(日) 19:27:55.42

泣いて泣いて泣いた


7 名無しさん@恐縮です :2021/10/10(日) 19:30:09.44

レギュラー放送よりも特番で人気出ただろ


12 名無しさん@恐縮です :2021/10/10(日) 19:36:48.61

蛍は可愛かった


32 名無しさん@恐縮です :2021/10/10(日) 20:07:37.81

フジの要求を突っぱねた倉本さすがだな


36 名無しさん@恐縮です :2021/10/10(日) 20:12:34.98

特番放映から、スペシャルだけ一気見たけど面白かった、35歳だけど


52 名無しさん@恐縮です :2021/10/10(日) 20:35:01.41

横山めぐみが良がったなあ


55 名無しさん@恐縮です :2021/10/10(日) 20:41:44.53

自分は関西在住で全く興味なかったけど、関東から越してきた友達はかなり熱心なファンだった
友達だけじゃなくて家族みんながこのドラマ好きで、夕方の再放送の時間になると自分と遊んでても中断して、
友達、友達の弟、友達の母ちゃんがテレビの前に座り込んでみんなで揃って放送を見守ってたのを覚えてる
で、ドラマが終わったらドラマの中の純のセリフなんかをモノマネし合ったりして、


63 名無しさん@恐縮です :2021/10/10(日) 21:04:06.65

この当時は金八先生組と北の国から組がいてウザいのよね。ナイナイの岡村は金八から北の国からに転向したし、松本人志も北の国からファンになってたりする